はじめに:疫病除けの祈りが続く「天王祭」とは
毎年6月下旬から7月初旬にかけて、東京都荒川区南千住の素盞嗚(すさのお)神社では「天王祭(てんのうさい)」が開催されます(今年は、6月7日8日)。
この祭りは、地域住民にとって大切な「疫病除け」「無病息災」を願う行事。とくに近年の疫病流行以降、その祈りの意味が改めて見直されています。
この天王祭、実は京都の祇園祭とも深いつながりがあるのをご存じでしょうか?
本記事では、日本神話の“荒ぶる神”素戔嗚尊(すさのおのみこと)と、その異名ともされる牛頭天王(ごずてんのう)、そして「ちまき」のルーツについて紐解いていきます。
荒ぶる神・素戔嗚尊と牛頭天王の不思議な関係
素戔嗚尊とは?
素戔嗚尊は、天照大神の弟神として日本神話に登場します。
海原の支配者であると同時に、嵐を呼び、時に乱暴を働く“荒ぶる神”としても知られます。しかしその一方で、八岐大蛇(やまたのおろち)を退治して人々を守る英雄でもありました。
つまり、破壊と再生を司る二面性を持った神様なのです。
牛頭天王との習合(同一視)
中世以降、素戔嗚尊は仏教や陰陽道と融合し、疫病除けの神である牛頭天王と習合されていきます。
牛頭天王は、インド由来の祇園精舎の守護神ともされ、後に日本では「祇園社」(現在の八坂神社)の主祭神とされるようになります。
そのため、素盞嗚神社の天王祭と祇園祭は、主祭神が同一であり、信仰の系譜でもつながっているのです。
ちまきのルーツ:蘇民将来と牛頭天王の伝説
伝説のはじまり
昔々の話。旅人に姿を変えた牛頭天王が、とある村を訪れ、一夜の宿を求めました。
裕福な弟・巨旦将来(こたんしょうらい)はこれを断りますが、貧しい兄・蘇民将来(そみんしょうらい)は快く宿を提供します。
すると、牛頭天王は正体を明かし、「お前のような心優しき者の子孫は、疫病から守ろう」と告げます。
その証として、「茅(ち)の輪を腰に巻いておけ」と伝えました。
この逸話が、「茅の輪くぐり」や「ちまき」の原型とされています。
茅の輪 → ちまき への変化
茅(ちがや)で作った輪を身につけていた蘇民一族は、疫病が流行ったときも無事でした。
このことから、茅を使ったお守りが「茅巻(ちまき)」と呼ばれるようになり、やがて祇園祭や天王祭の「ちまき守り」として広まったのです。
この「ちまき」は食べ物ではなく、笹の葉や藁で編んだ厄除けのお守りとして、現在も町家の玄関などに飾られています。
長刀鉾と祇園祭の「ちまき文化」
長刀鉾(なぎなたほこ)とは?
京都の祇園祭で巡行の先頭を務める山鉾が「長刀鉾(なぎなたほこ)」です。
この鉾の特徴は、「くじ取らず」で常に先頭、そして生稚児(いきちご)が実際に乗る唯一の鉾でもあります[1]。
この長刀鉾で授与される「厄除けちまき」は、他の山鉾のものに比べても特に人気が高く、行列ができるほどです[3][5]。
実生活に溶け込む「ちまき」
祇園祭が中止になった2020年、一部地域ではマンションで「ちまき」が配布されたというエピソードもあります。
玄関にちまきを飾る習慣は、現代でも人々の心の中に生きているのです[2]。
遊び心の提案:「六木ちまき」を天王祭の新名物に?
ここで少し発想の転換を。
このように天王祭とも関係が深い「ちまき」ですが、
せっかくなら、語呂合わせで「六木(むつぎ)ちまき」という食べられる中華風ちまきを新名物として定着させてみてはどうでしょう?笑
たとえば:
- 中身に6種の具材(=六木)を使った豪華なちまき
- 「むつぎ=睦み(むつみ)」で家族円満の願いも込める などなど…
「厄除けもできて、お腹も満たせる」そんなちまきが生まれたら、きっと地域の子どもたちにも愛されることでしょう。
おわりに:神話と現代が交差する祈りの文化
素戔嗚尊・牛頭天王という神々が紡いできた疫病退散の物語。
それが千年以上の時を経て、祇園祭や天王祭という形で私たちの暮らしの中に息づいていることは、とても感動的です。
お守りとしての「ちまき」、そして文化としての「祭り」。
どちらも、現代に必要な“祈りと感謝”を象徴するものではないでしょうか。
次回の天王祭には、ぜひ「六木ちまき」を片手に、神々の物語に思いを馳せてみてください。
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